丸山恒雄美術館

TSUNEO MARUYAMA 
Art Museum

丸山恒雄美術館について

About Tsuneo Maruyama Art Museum

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丸山恒雄美術館について

About Tsuneo Maruyama Art Museum

201869日、私はオランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館展示室に立っていた。ゴッホが弟テオに宛てて書いた手紙を読み上げる声をイヤホンガイドで聴きながら年代順に展示された作品に向かい合っていく。作品と言葉、視覚と聴覚が混然一体となりゴッホの世界を一歩ずつ降りていく。最後の作品に辿り着く。『カラスと麦畑』(1890年)はゴッホの精神世界の終末だった。展示室であまりみっともない行動はできない。と、後ろを振り向いたら円柱があった。円柱に隠れるようにして芸術家の精神の淵に立ち泣いた。

「弟テオとその子供の尽力でゴッホの絵が後世に残ることに感銘を受ける」と私は日記に書いている。

 このゴッホ美術館での経験が、父丸山恒雄の作品を世に出す決意につながったのだと思う。

 

2023年「春陽会」が誕生100年を迎え記念展覧会を全国で開くにあたり、それに合わせて上田市と東御市では、上田地域の近代美術史を現代まで総覧し、紹介する絵画展『上田クロニクル』を開催する、という歴史的なプロジェクトが進んでいた。

 

『児童自由画教育運動や農民美術運動等,山本鼎によって私たちの暮らす長野県上田地域に「美術」の種が蒔かれてから100年が経ちました。山本鼎が蒔いた種は、戦前においては親友の倉田白羊が指導者になった「ノア会」、戦後は小杉放庵の紹介により来訪した岡鹿之助を指導者とする「鹿苑会」の活動により、多くの若者たちが芸術家への道を歩み開花しました。(中略)本展では、近現代上田地域の絵画作品の制作活動を中心にすえて、それらの作家や作品を紹介するとともに、地域の美術史をアーカイブし、次世代に残す試みを行います。』 (「上田クロニクル(仮)開催要綱」より一部抜粋 2022年9月)

 

日本の真ん中に位置する長野県(信州)の、とある小さな土地で、優れた芸術作品群が100年にわたって次々に生み出されてきたことは世界に誇れる歴史ではないだろうか。

恒雄が作品の発表の場として大事にしてきた「春陽会」。画家岡鹿之助を指導者として優れた画家たちを輩出した「鹿苑会」。恒雄が誕生し終生過ごした地であり、児童自由画教育や農民美術といった教育や芸術を生み出してきた上田市大屋(神川村)を包含する上田地域。

この歴史と画家たちの今もって色あせることのない作品群を世界中の人々に知って欲しい。

丸山恒雄美術館を訪れてくださった皆様に、土地の歴史に育まれた丸山恒雄の世界に触れていただければ幸いである。

 

 
 

 作品の調査、丸山恒雄美術館の開設に至るまで以下の方々から様々な示唆を受け、お力添えをいただいた。心から感謝の念を捧げたい。

 

 作品の調査と撮影に際し二度も保管庫から作品を運び出す労を取り協力してくださった上田市立博物館館長坂部詠章様はじめ学芸員の皆様。坂部館長様からは作品の保管方法をご教示いただいた。

『上田クロニクル』展の実現に尽力された長野県東御市役所(学芸員として上田クロニクル展企画運営)日向大季様はじめ梅野記念絵画館の皆様、長野県上田市役所(学芸員として上田クロニクル展企画運営)小笠原正様はじめ上田市立美術館の皆様。

丸山恒雄作品を芸術家の目で洞察し、深い愛を湛えた文章でこの丸山恒雄美術館の水先案内人となってくださった春陽会会員田中康夫様。

『上田クロニクル』展のクロストーク(鼎談)において「鹿苑会」の歴史、岡鹿之助先生のご指導の様子をはじめ当時の研究会の様子を生き生きと再現してくださった春陽会会員浦野吉人様、一般社団法人二紀会参与米津福祐様をはじめとする「鹿苑会」の皆様。

丸山恒雄作品を撮影してくださった写真家 Sam Pritchard 様とプリチャード香里様。

インターネット美術館のデザインを仕上げていただいたアンテナ株式会社様。

陰になり応援してくださる株式会社細井建設代表取締役細井武夫様、上田市大屋町内会の皆様、長野市丸山家の皆様。

 この取り組みに貢献してくださったすべての方々に、深く御礼を申し上げる。

2025年2月2日 鳥居順子

丸山恒雄美術館ウェブサイトの更新・改訂履歴

  2025年2月3日 公開

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